2011年06月30日
百万遍にぼ次朗(立腹)
6月29日は百万遍にぼ次朗というラーメン屋のオープン日だった。そこでかなり不快な思いをする。
10時半過ぎに同店着。食券購入&着席。
40分対応なし。
こういうものなのかと思い周囲を観察すると、後から来た客が食い終わっている様子。完全に無視られていたようだ。
システムの問題じゃないことが分かり怒り倍増。苛立ちを抑えながら、何度も周囲をウロチョロしていた店員に食券を示す。散々周りをウロウロしていて気づかなかったのかよ。こっちは「食券購入後はお待ちください」的なこと書いてたからおとなしく40分近くも待っていたのだ。実に腹が立つ。
しかもオーダーミス2回。
3度めに店長らしい人が「たびたびすみません、おわびに煮玉子サービスしときました」と持ってきた。
彼に悪気はないのだろうけど、こっちはトータルで一時間近く待たされたことに腹を立てている。煮玉子はいらないから食わず。
おわびにトッピングを増やされても困る。こっちは胃袋と相談してメニューを決めてるわけだし。
とにかく腹が立った。オープン日という忙しい日とはいえ、これはないだろう。バイトの店員は大勢いたが、意味がない。
10時半過ぎに同店着。食券購入&着席。
40分対応なし。
こういうものなのかと思い周囲を観察すると、後から来た客が食い終わっている様子。完全に無視られていたようだ。
システムの問題じゃないことが分かり怒り倍増。苛立ちを抑えながら、何度も周囲をウロチョロしていた店員に食券を示す。散々周りをウロウロしていて気づかなかったのかよ。こっちは「食券購入後はお待ちください」的なこと書いてたからおとなしく40分近くも待っていたのだ。実に腹が立つ。
しかもオーダーミス2回。
3度めに店長らしい人が「たびたびすみません、おわびに煮玉子サービスしときました」と持ってきた。
彼に悪気はないのだろうけど、こっちはトータルで一時間近く待たされたことに腹を立てている。煮玉子はいらないから食わず。
おわびにトッピングを増やされても困る。こっちは胃袋と相談してメニューを決めてるわけだし。
とにかく腹が立った。オープン日という忙しい日とはいえ、これはないだろう。バイトの店員は大勢いたが、意味がない。
2011年06月27日
同好会
仕事帰り。
月曜の仕事が終わったら、僕はいそいそとある場所へと向かう。同好の士が集まるその場所へ。
チェスボクシングという競技がある。そのまんま、チェスとボクシングを交互に行う、頭脳と肉体を駆使した競技だ。勝負はチェックメイトやノックアウトで決まる。
僕は左京区チェスボクシング愛好会の常任理事であり、毎週月曜は、このマイナーな競技に時間を捧げている。
そんな僕だから、さっきみたいに帰りの阪急が遅れるとイライラする。月曜はチェスボクシングの日だからだ。会に遅れたら、罰則としてロードワークとチェス駒素振りを長時間こなさなくてはならない。
ただ、いかんせん競技の知名度が低く、左京区チェスボクシング愛好会のメンバーはきわめて少ない。何を隠そう、僕ひとりで活動している。
前に、テルミンと俳句の会をやっていた時もそうだった。これはテルミンを奏でながら一句詠むというハイクラスな芸術活動であった。しかし、鴨川テルミン俳句連合は、実質僕ひとりで細々と活動していた。
その前に、エクストリーム・アイロンかけをやっていた時も、ひとりだった。エクストリーム・アイロンかけとは、極限状態でアイロンをかけるという男のスポーツだ。例えばロッククライミングや、スカイダイビングの最中、Yシャツなんかにアイロンをかける、この上なくクレイジーな競技だ。まさに命懸け。北斗の拳も真っ青である。
しかし、我がKEIL(京都エクストリーム・アイロニスト・リーグ)は、その男の美学丸出しの魅力とは裏腹に、人集めに苦労する日々だった。
その前にハマっていた、「飲み黙り」という競技は、少々事情が異なった。飲み黙りとは、居酒屋なんかで飲みながら、オーダー以外は沈黙を貫くというシブイ競技である。競技者は伝説の飲み黙り王であるケン・高倉が上り詰めた高みを目指し、日々研鑽を積んでいた。
実はこれには、それなりに競技人口がいて、例えば西院、大宮、木屋町、河原町の飲み屋なんかでも見られた。僕はかなり上級の飲み黙リストだったが、その僕が見ても見事な飲み黙りの技を披露していた人たちが何人かいた。
ただ、それは僕のように競技でやっているのか、それとも単に愛想がないだけかの区別が困難な場合もあった。いや、むしろ、まったく区別がつかなかった。飲み黙りのルールはおしゃべりを禁じているので、隣り合わせた飲み黙リストっぽい人に「あの、もしかしてお宅も…?」と聞くことすら叶わなかった。
振り返ると、僕はずいぶんと幅広い活動をしていたようである。そのどれもが社会から微妙な眼差しを向けられる活動ばかりだ。チェスボクシングだってそうなのだ。長続きはしないだろう。
次はエア生け花とかをやろうと思う。
月曜の仕事が終わったら、僕はいそいそとある場所へと向かう。同好の士が集まるその場所へ。
チェスボクシングという競技がある。そのまんま、チェスとボクシングを交互に行う、頭脳と肉体を駆使した競技だ。勝負はチェックメイトやノックアウトで決まる。
僕は左京区チェスボクシング愛好会の常任理事であり、毎週月曜は、このマイナーな競技に時間を捧げている。
そんな僕だから、さっきみたいに帰りの阪急が遅れるとイライラする。月曜はチェスボクシングの日だからだ。会に遅れたら、罰則としてロードワークとチェス駒素振りを長時間こなさなくてはならない。
ただ、いかんせん競技の知名度が低く、左京区チェスボクシング愛好会のメンバーはきわめて少ない。何を隠そう、僕ひとりで活動している。
前に、テルミンと俳句の会をやっていた時もそうだった。これはテルミンを奏でながら一句詠むというハイクラスな芸術活動であった。しかし、鴨川テルミン俳句連合は、実質僕ひとりで細々と活動していた。
その前に、エクストリーム・アイロンかけをやっていた時も、ひとりだった。エクストリーム・アイロンかけとは、極限状態でアイロンをかけるという男のスポーツだ。例えばロッククライミングや、スカイダイビングの最中、Yシャツなんかにアイロンをかける、この上なくクレイジーな競技だ。まさに命懸け。北斗の拳も真っ青である。
しかし、我がKEIL(京都エクストリーム・アイロニスト・リーグ)は、その男の美学丸出しの魅力とは裏腹に、人集めに苦労する日々だった。
その前にハマっていた、「飲み黙り」という競技は、少々事情が異なった。飲み黙りとは、居酒屋なんかで飲みながら、オーダー以外は沈黙を貫くというシブイ競技である。競技者は伝説の飲み黙り王であるケン・高倉が上り詰めた高みを目指し、日々研鑽を積んでいた。
実はこれには、それなりに競技人口がいて、例えば西院、大宮、木屋町、河原町の飲み屋なんかでも見られた。僕はかなり上級の飲み黙リストだったが、その僕が見ても見事な飲み黙りの技を披露していた人たちが何人かいた。
ただ、それは僕のように競技でやっているのか、それとも単に愛想がないだけかの区別が困難な場合もあった。いや、むしろ、まったく区別がつかなかった。飲み黙りのルールはおしゃべりを禁じているので、隣り合わせた飲み黙リストっぽい人に「あの、もしかしてお宅も…?」と聞くことすら叶わなかった。
振り返ると、僕はずいぶんと幅広い活動をしていたようである。そのどれもが社会から微妙な眼差しを向けられる活動ばかりだ。チェスボクシングだってそうなのだ。長続きはしないだろう。
次はエア生け花とかをやろうと思う。
2011年06月06日
カレー道
お茶や剣やラーメンに道があるように、カレーにも道がある。
カレー道。
下鴨神社の近くにあるスコティッシュ・パブ、アンティシェンエでは、ある求道者(はい、僕です)がカレーの道(食べるの専門)を極めんとして、激辛ドライカレーを食す日がある。
カレーには名がある。漢と書いておとこと読む、「漢カレー」という。かつて、これは「激辛マックスたまご抜き」と呼ばれていた。完全に忌名。
このカレーの辛さはもうなかなかのもので、「内部からの破壊はある」ことを納得できそうなほどだ。ただ、これは単に辛いだけのカレーではない。しっかりとした旨味がベースにあり、そこから逸脱し過ぎないところが特長だ。色んな方向に行こうとするスパイスの味わいと、その下に横たわる安定した旨味。ビリヤードのブレイクショットで散り散りになる玉は、それでいて、台の範囲にある。そんなことを思わせるカレーだ。
そんなカレーを、修業と称して僕は食べる。汗をかき、汗をふき、ギネスをちびちびやりながら、少しずつスプーンを口に運ぶ。
この前、カレーを食べ終えたら、マスターのホーリーさんが「カレー道五段を与える」と言ってくれた。
やったぜ、カレー道五段。こんな証書をもらいたいものだ。
「貴殿にカレー道五段を、右の通り認許する」
そして毛筆で日本カレー道連盟の名と、朱印が押されているのだ。
Tシャツなんかもあるといいな。NO CURRY, NO LIFEくらい書いてもいいと思う。
まあ、そんなカレー道です。
カレー道。
下鴨神社の近くにあるスコティッシュ・パブ、アンティシェンエでは、ある求道者(はい、僕です)がカレーの道(食べるの専門)を極めんとして、激辛ドライカレーを食す日がある。
カレーには名がある。漢と書いておとこと読む、「漢カレー」という。かつて、これは「激辛マックスたまご抜き」と呼ばれていた。完全に忌名。
このカレーの辛さはもうなかなかのもので、「内部からの破壊はある」ことを納得できそうなほどだ。ただ、これは単に辛いだけのカレーではない。しっかりとした旨味がベースにあり、そこから逸脱し過ぎないところが特長だ。色んな方向に行こうとするスパイスの味わいと、その下に横たわる安定した旨味。ビリヤードのブレイクショットで散り散りになる玉は、それでいて、台の範囲にある。そんなことを思わせるカレーだ。
そんなカレーを、修業と称して僕は食べる。汗をかき、汗をふき、ギネスをちびちびやりながら、少しずつスプーンを口に運ぶ。
この前、カレーを食べ終えたら、マスターのホーリーさんが「カレー道五段を与える」と言ってくれた。
やったぜ、カレー道五段。こんな証書をもらいたいものだ。
「貴殿にカレー道五段を、右の通り認許する」
そして毛筆で日本カレー道連盟の名と、朱印が押されているのだ。
Tシャツなんかもあるといいな。NO CURRY, NO LIFEくらい書いてもいいと思う。
まあ、そんなカレー道です。
Posted by Tamo at
18:59
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