京つう

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Posted by 京つう運営事務局 at

2011年10月09日

悪口だけ聞いた

今日、烏丸今出川にある同志社大学今出川キャンパスの近くを通っていたら、
メガネをかけた男性が門の前で拡声器を使って同大学の悪口を言っていた。

「謝れよ」とか「キチガイ」とか「ひどい大学だとは聞いてたけど」とか、何か色々
言っていた。どうも大学関係者に(警備員??)何か言われたか、されたらしい。

え?ちょっと何か言われた程度で拡声器持って周囲の人に聞こえるように文句
言うのか?つーかその拡声器はどこから持ってきたんよ、と思っていたら、どうも
元々そこで何か別の演説をするつもりだったのが、大学関係者とのトラブルにな
り、それで拡声器を使ってキチガイだとか色々言っていたようだ。

すぐに通り過ぎてしまったので、彼がもともと言いたかったメッセージは聞こえなか
ったけど、まあとにかく酷い罵詈雑言だった。
  


Posted by Tamo at 21:58Comments(0)京都の日々

2011年07月06日

776

京都で乗るタクシーはMKと決めている。MKに乗って嫌な思いをしたことは一度もない(一度だけ、友達と飲んだ後、店の中で彼を待たせてMKタクシーをとめたのだが、出た時にはいなくなっていたことはある。足に障害を持つ友人なので、店の外に出るのが遅かったのだ。これは乗っていないからカウントされていない)。どんなに酔っていてもMKを探す。

そんなMKに乗ると、「MK新聞」というフリーペーパーを置いている。昨日見たら776号だった。数年前、777号を手に入れたいと思った。あと少しだ。

777号では何か変わった特集を組んだりするのだろうか。昨日運転手さんから聞いた話では、広報部がこれを作っているらしい。女性の担当社員がいて、取材をされているそうだ。

「写真撮らせて下さい」とその担当者が作業中の運転手にカメラを向け、「男前特集?」と返す会話のパターンがあると教えてもらった。どこにでも男前や美人コーナーがある。例えば、自衛隊のフリーペーパーには「フェアレディー」という女性隊員を紹介する欄がある。

自衛隊に女性隊員はいるが、僕は京都で女性のタクシー運転手を見たことがない。「いるんですか?」と聞くと「いますよ。うちにもいます。多くはないですけど」という返事だった。

一度くらいそんなレアなタクシーに乗りたいものだ。そのタクシーで、第777号のMK新聞をゲットできれば、それはかなり幸運だといえると思う。  


Posted by Tamo at 20:57Comments(0)京都の日々

2011年07月03日

カレー道五段

全日本伽哩連盟よりカレー道五段の証書をいただいた(笑)



下鴨本通りにあるアンティシェンエというスコティッシュ・パブが、連盟本部だ。マスターのホーリーさんがわざわざ作ってくれた。

思えば、五段になるまで、厳しい修行に耐えた日々だった。

辛さは熱さに似たりと、火の輪くぐりをした。タバスコの一気飲みを日頃から行い、辛さに耐えられるよう舌を鍛えた。ある期間は島唐辛子がお口の恋人だった。精神力を強くするために滝にも打たれた。

そして、今手元に五段の認状がある。

入れ物はシングルモルト・ウィスキーのケースだった。




カレー師匠ありがとうございました。これからも精進します。押忍。

  


Posted by Tamo at 18:33Comments(0)京都の日々

2011年07月02日

凄い対応(2)

(前の記事の続き)

今回の百万遍にぼ次朗の対応で、2年前にあったある出来事を思い出した。

一乗寺にあるサイクルベース・アサヒという自転車の会社の京都の支店でチャリの修理をしてもらった時のこと。「5から6000円ほどかかるんですけど・・・」と店員にいわれた。

5〜6000円かぁ・・・と思った。あまり金を使いたくない月だったが、チャリがないと何かと不便だ。仕方ない。

「6000円ですね」と念を押し、僕は代車に乗って仕事に行った。

数日後、アサヒから修理終了の連絡があり、取りに行った。多くても6000円だと財布を出したが、レジの金額を見てびっくり。8025円と出ていたのだ。え?6000円じゃないの??

僕は一応抗議した。
「6000円ほどって言われたから合意したのだ」と。
しかし、相手の店員(バイト?)は困惑気味にかかった金額の内訳を説明しただけだった。

この店員と話し合いはできないと思い、そこは金額を払って「次から正確に金額を教えてほしい」と伝えて帰った。

でも、ひどいだろう、2000円の違いは。僕には財布の中にある金額の使用用途が一応決まっていたので、プランが大幅に狂ってしまった。

僕は本社に電話して事情を述べた。担当者は僕の話を丁寧に聞いてくれ、「時間がかかるかもしれませんが、こちらでしっかりと調べておきます」と約束してくれた。

時間がかかるってことは数日かなと思いながら電話を切ったら、なんと20分後にその京都支店から電話がかかってきた。

はやっ。

京都の担当者は「お話を聞いたところ、こちらが100%悪いと思います。差額の2000円をお返ししたいのでご足労をおかけしますがおいで頂けますか?」と謝罪してくれた。

2000円は僕にとりそこそこ大きな金額だ。本ならそれなりのものが1冊買えるし、行きつけの居酒屋で焼き鳥なら20本買える。

でも、アサヒの丁寧な対応から、どうも悪意があったというわけでもなさそうだと思えた。それはもう、びっくりするような丁寧な対応だった。だから、2000円は返してほしかったけど、今回はいいと言って、謝罪だけ受け入れた。素晴らしい対応だったのでムカつきも収まってしまったのだ。

こんな風に苦情を処理できる企業って素敵だなと思った。今は百万遍にぼ次朗についても同じように考えている。  


Posted by Tamo at 07:22Comments(0)京都の日々

2011年06月27日

同好会

仕事帰り。
月曜の仕事が終わったら、僕はいそいそとある場所へと向かう。同好の士が集まるその場所へ。

チェスボクシングという競技がある。そのまんま、チェスとボクシングを交互に行う、頭脳と肉体を駆使した競技だ。勝負はチェックメイトやノックアウトで決まる。

僕は左京区チェスボクシング愛好会の常任理事であり、毎週月曜は、このマイナーな競技に時間を捧げている。

そんな僕だから、さっきみたいに帰りの阪急が遅れるとイライラする。月曜はチェスボクシングの日だからだ。会に遅れたら、罰則としてロードワークとチェス駒素振りを長時間こなさなくてはならない。

ただ、いかんせん競技の知名度が低く、左京区チェスボクシング愛好会のメンバーはきわめて少ない。何を隠そう、僕ひとりで活動している。

前に、テルミンと俳句の会をやっていた時もそうだった。これはテルミンを奏でながら一句詠むというハイクラスな芸術活動であった。しかし、鴨川テルミン俳句連合は、実質僕ひとりで細々と活動していた。

その前に、エクストリーム・アイロンかけをやっていた時も、ひとりだった。エクストリーム・アイロンかけとは、極限状態でアイロンをかけるという男のスポーツだ。例えばロッククライミングや、スカイダイビングの最中、Yシャツなんかにアイロンをかける、この上なくクレイジーな競技だ。まさに命懸け。北斗の拳も真っ青である。

しかし、我がKEIL(京都エクストリーム・アイロニスト・リーグ)は、その男の美学丸出しの魅力とは裏腹に、人集めに苦労する日々だった。

その前にハマっていた、「飲み黙り」という競技は、少々事情が異なった。飲み黙りとは、居酒屋なんかで飲みながら、オーダー以外は沈黙を貫くというシブイ競技である。競技者は伝説の飲み黙り王であるケン・高倉が上り詰めた高みを目指し、日々研鑽を積んでいた。

実はこれには、それなりに競技人口がいて、例えば西院、大宮、木屋町、河原町の飲み屋なんかでも見られた。僕はかなり上級の飲み黙リストだったが、その僕が見ても見事な飲み黙りの技を披露していた人たちが何人かいた。

ただ、それは僕のように競技でやっているのか、それとも単に愛想がないだけかの区別が困難な場合もあった。いや、むしろ、まったく区別がつかなかった。飲み黙りのルールはおしゃべりを禁じているので、隣り合わせた飲み黙リストっぽい人に「あの、もしかしてお宅も…?」と聞くことすら叶わなかった。

振り返ると、僕はずいぶんと幅広い活動をしていたようである。そのどれもが社会から微妙な眼差しを向けられる活動ばかりだ。チェスボクシングだってそうなのだ。長続きはしないだろう。

次はエア生け花とかをやろうと思う。
  


Posted by Tamo at 22:54Comments(5)京都の日々

2011年04月19日

そりゃそうだ

左京区のスーパーで買い物をしていた。

意味もなく上機嫌モードで、ネギの前を「買ったるで〜」と思いつつウロウロしていた。

上の方にあるネギに手を伸ばした。貧相なやつだった。

野菜コーナーに向かって「お前はもっとできる子だろ」とつぶやいて、下の方をごそごそしてたら、結構立派なやつが隠れていたのを見つけた。

「お〜、いたいた。Come
here, come to daddy. Don't be shy.」

そう言いながらネギを物色してる現場を近所の主婦らしき人に見られてしまった。

誰もいないと思っていたのに。変な人を見るような眼差しをちょうだいした。そりゃそうだ、  


Posted by Tamo at 20:58Comments(0)京都の日々

2010年12月25日

誕生日

12月25日は周知の通り、僕の誕生日である。

ラーメン好きな者としては、やはりラーメンで祝いたい。
バースデー・ラーメンである。
どこにしよう。
何を食べよう。

一歳ふけた自分が納得するラーメンをあれこれ考えた末に、一乗寺にあるラーメン軍団
に行く事にした。



中華そば肉多め。
実に華やかだ。昨日よりも大人になった自分にふさわしい一品。

ラーメンに満足して、仕事をして、再び外出。
ここ数年、毎年決まった立ち飲み居酒屋で年を取っている。

その店は、四条大宮のてらである。
いつもは大体一人で祝うが、今年は常連の一人であるMさんが酒を一杯奢ってくれた。
ありがたや、ありがたや。

それから、大将のてらさんが「これ僕から」とサプライズなプレゼントをくれた。

ありがたや、ありがたや。

こうして、近年まれに見るくらい色んな人からのお祝いをいただいて、僕はひとつ年を
重ねた。



  


Posted by Tamo at 23:17Comments(0)京都の日々

2010年10月15日

3万円

阪急烏丸駅から、地下鉄四条駅に行こうとしていた時のこと。

エスカレーターの前でいちゃついている高校生の彼氏彼女がいた。

彼氏が彼女に抱きついた。彼女はすぐに後ずさって、彼氏の腕から逃れると、低めの声で言った。

「3万円払え、3万円」

水と安全と恋人のハグはタダだと思っていたのに…。それにしても高いな、と思った。  


Posted by Tamo at 20:49Comments(0)京都の日々

2010年04月29日

目撃談

三条で歩いていると、女子高生の二人組とすれ違った。

その直後、一人の声が聞こえた。

「あの人どこかで見たことある」

まじか。
そういう話は本人に聞こえないようにしましょう。  


Posted by Tamo at 22:36Comments(2)京都の日々

2010年04月02日

心のつぶやき

京都府庁近くの横断歩道で信号が変わるのを待っていたら、反対側にいた見知らぬ男性がつかつかと歩いて来てこう言った。

「律儀に待たなくても。車来てないんだから」

僕は心の中で「そんなこと自分で決めるし。つーか、あんたダレだよ」とつぶやいた。  


Posted by Tamo at 21:48Comments(0)京都の日々

2009年12月31日

年の終りに

2009年が終わる。例年のように、始まった時は果てのない日々のように思えたが、最後の一日になった今は急ぎ足で駆け抜けたように感じる。反省ばかりの一年だった。いいこともあった…気がする。

京都の片隅で過ごしたのはざっとはこんな一年だった。

僕は典型的な夜型生活を送った。だいたい毎日遅くまで(時として早くまで)仕事をした。酒と映画と本とB級グルメを友とし、散歩とラーメン屋巡りの楽しさを再確認した。

2009年の最初は、ひとつだけ自分の望む形で仕事ができた。ほんのちょっぴりだが、人に誇ってもいい仕事だった。

友達が結婚した。
綺麗な奥さんだった。友達の好みのタイプだった。性格もよい姉さん女房。来年、子供ができるらしい。

2008年に結婚した別の友人夫妻には、男の子が産まれた。ぷくぷくと丸い赤ちゃんで、最近ようやくパパになついたらしい。信頼の構築までずいぶんかかったようだが、それも笑い話だ。

お気に入りのラーメン店が閉店した。落ち込んだが立ち直った。

僕にとり数少ない大切な人のうち、一人との関係をたった。信じていたけど、とても裏切られた気持になったのだ。また、大きな犠牲もはらってしまった。相手にも言い分があっかもしれないが、もう知ることはできない。

今ではすれちがうことも叶わない相手だ。元気でいてほしいとは思う。けれど、言いたいことを色々と飲み込んでいたことに、一抹の後悔はある。

その人は、付き合いを維持できると考えていたらしいけれど、僕には無理だった。正直その人が許せなかったし、どことなくテクニックっぽい謝罪には悲しくなった。そんな状況で関係をある程度維持できると考えた相手の人間観をひどいと感じ、また羨ましくも思った。

ただ、元気でいてほしいという気持に偽りはない。

お気に入りの飲み屋が増えた。僕用の特別メニューもある。

しょっちゅうお邪魔している、四条大宮の立飲み居酒屋のてらで誕生日を祝った。3年連続である。もしかしたら来年も…?

少し仕事でしくじった。年明けに挽回できればと思う。

2010年はどんな年になるだろうか。

きっと毎日欠かさずコーヒーを飲むだろう。僕は相変わらず、大好きな居酒屋の決まったメニューを、テレビを眺めながら楽しむに違いない。見知らぬ人と話すのは苦手だから、きっと他人をよせつけない空気を放っている。

数年もかけたある仕事はうんざりするほど長い時を経て完成しているだろう。完成してくれなきゃ困る。この仕事に時間を割いてばかりいたため、僕は恋愛関係をひとつダメにしてしまった。意地でも完成させる。

友達の子供は初めて自分の両足でこの世界を歩くことだろう。パパとママをきちんと認識していることを、言葉で伝えられるほど成長するのだ。そして友達はそれをしみじみと報告してくれるに違いない。

大好きなレストランは改装され、マスターはほんの少し自分が理想とするサービスに近付くことができて嬉しく思うと同時に、いっそう努力をするだろう。

既に親友の結婚式のスピーチを頼まれてしまっている。そのため、僕は暴露話を含めた祝辞を2010年に送ることとなる。覚悟せよ。

ほとんど唯一の先輩と数ヵ月にいっぺん飲んで、いつもおいしいラーメンをチェックしていることだろう。ブックオフでしばしば立ち読みをして、休日は部屋でごろごろした後に缶コーヒーを片手に散歩に出かける。もしかしたら、2009年にあったように、行き付けの店の大将にその姿を目撃されるかもしれない。ウォーリーを探せ。

知らない人と意気投合するかもしれない。滅多にないが、二年に一度くらいはあることだ。言葉を交した瞬間、その人物をまるで昔から知っている気分になるのである。それはそれで楽しい。

いいことが続いてくれる一年であることを祈りたい。

これを読んでくれているあなたにとっても、来る年が素晴らしいものになりますように。

  


Posted by Tamo at 23:36Comments(0)京都の日々

2009年12月31日

我流の京都外伝

大晦日である。
そうだ、実家に帰ろう。そう思い立った。帰郷するのは丸一年ぶりである。丸一年。

一年経てば、故郷は大きく変わっているであろう。父母は年老いており、やんちゃ盛りだった妹や弟らは立派に成長し(丸刈りで玄関に出てきて、「兄上、お帰りなさいませ」というのだ)、子犬のタロ吉(芝犬)も成犬になっている。田んぼはコインパーキングになり、恩師の髪には白いものが目立つようになっていることであろう。そして、幼き日に将来を誓ったあの娘は健気にも僕を待ってくれているに違いない。ああ、故郷よ…。

しかしよく考えてみれば、父母は年齢の割には若く見えるし、体力の衰えを嘆く割にはよく食べる。どちらかといえば周りに面倒な雑用を任せるために、年齢という方便を駆使しそうなタイプである。

妹や弟はとっくに成長しており、僕が戻っても出迎えることなくコタツで尻をかきながらテレビを観ているだろう。

うちに犬なんざいない。猫ならいたが、死んだ。田んぼもない。人んちの田んぼを子供の頃、同級生に「ここうちの田んぼだから好きに使っていいよ」と自慢したことがあるのが、唯一の田んぼとの接点である。好きに使っていいよって、どう使えというのか。いやいやしかし、ガキというのはいつの時代も田んぼのクリエイティブな使用法を思い付くものだ。コンテストがあればいいのに。

故郷の恩師に髪はない。白髪があるだけもうけもんだ。それに懐かしくもない。できれば会いたくない。

そして、将来を誓ったあの娘はそんな20年以上も昔の約束なんぞ忘れて、今では2児の母であるらしい。らしいというのは、それもこれも5年ほど前に又聞きの又聞きで知ったからだ。実際に彼女と会ったのは15年ほど前だった気がする。顔も覚えていない。

ああ、故郷よ。そんなもんだ、故郷なんて。

戻りは高速バスである。電車がどうなっているかは知らないが、バスは快適だ。目だった渋滞はなく、僕の隣には誰も座っていない。荷物置き放題である。

途中のパーキングエリアで休憩も取ってくれる。僕の住んでいる部屋よりも遥かに立派なトイレがある。

缶コーヒーを買おうとしたが、なかなかいいのが見付からない。自動販売機はたくさんあるのに、目当てのコーヒーは売っていない。

ようやく伊藤園の自販でそこそこマシなやつを見付けてコインを投入するものの、100円を受け付けてくれない。

なぜ?

アサヒの自販は受け付けてくれたのに。

つーか、アサヒを捨ててまでお前のところに来たのだ伊藤園。我が100円を受け入れよ。

しばし攻防が続いたが、僕の負けである。惨敗。くそっ、自販の癖に。

100円を変えて、また入れる。

また拒否られる。

「ブッ殺すぞテメ」といってしまった。本当に久しぶりに。無機物には容赦しない。

選手交代を経てようやくゲットしたコーヒー。劇的微糖という名前だった。

これで劇的じゃなかったら、遠慮なく「燃えるゴミ」に入れてやろう。二度とリサイクルされない体にしてやるから覚悟しろ。

とか思いながら、今プルトップを開けるところである。  


Posted by Tamo at 18:28Comments(0)京都の日々

2009年11月24日

風景写真

先日、四条大宮の立ち呑み居酒屋てらで、風景写真を撮影されているWさんとお会いした。


作品を入れたアルバムを拝見したが、どれもこれも素晴らしい写真で、僕は酔っ払いながらも美しい風景の数々に見入ってしまった。

シブさが漂う男性常連客であるOさんが、気に入った写真をどうぞと言われて2枚選んでいた。
一枚は写真というよりは絵を思わせる、圧倒的な紅葉の写真。もう一枚はこのブログに掲載した群青色が前面に出ている写真である。この深いジャパニーズ・ブルーの写真の虜になってしまい、僕は「写メに撮っていいですか」とお願いしてしまった。

実物はもっと色が深く美しかった。Oさんが羨ましい。
あまりにも僕がまじまじと写真を見つめるので、Oさんは「俺んだぞ、やらねーぞ」と自分のセンスを自慢していた。紅葉の方は職場のデスクに飾るのだそうだ。もう一枚の行方が気になるところである。

僕は素人考えで、てっきり風景写真は一日で撮影できるものだと思っていた。しかしWさんは良さそうなスポットを見つけると、シャッターを切っても良いと思うまさにその時までずっと待つのだそうだ。数週間もかける場合もあると聞き、僕は純粋に驚いてしまった。最近はめったに驚くことがないので、久々の感覚だった。そのような努力を経て、美しい写真ができるのである。それだけ時間をかけたものを、ほんの少しの時間で鑑賞するのがもったいない気がした。

Wさんの美しい写真は、「京の四季と美瑛の大地」というご自身のブログでも見ることができる。
http://wakamatsu3.exblog.jp/

ラーメンにもお詳しく、色々なお店の話をすることができた。居酒屋で知らない人と話すのが苦手な僕だが、とても楽しかった。  


Posted by Tamo at 15:46Comments(0)京都の日々

2009年10月19日

ろうそく

週末は仕事で東京に行くはめになり、ようやく戻れた。
どうも向こうは苦手だ。



関東から戻ると、まっ先にに目につく京都的ランドマークはろうそくこと京都タワーである。
京都好きな人は、京都タワーを嫌うことが好きらしい。
そう、やつはすこぶる評判が悪い。別に悪いことはしていないのに。
僕の中でも、何か微妙な感じだ。

でも、京都に戻ってこのタワーを見ると、なんだかホッとするのである。  


Posted by Tamo at 22:04Comments(0)京都の日々

2009年09月15日

夢か幻か


京都の有名ラーメンチェーンである天下一品。
その天一について、とても奇妙な思い出がある。僕の中で「幻の天一事件」という名前までついている出来事だ。

10年近く前、京都に来てまだ間もない頃の話。当時、市営地下鉄を乗るのもおっかなびっくりだった僕と友達のAは、間違えて降りるつもりのない駅で下車してしまった。

それに気付かずに地上に出た僕らは「何か風景が違う気がするなぁ」と思いながらも、歩いていた。
歩けども歩けども、ますます見知らぬ街並みが目の前に広がっていく。だんだん腹も減ってきた。
「間違えたかな」
「間違えたかもな・・・」
そんな会話をしながら進んでいると、目の前に僕の心をときめかす看板があった。
天下一品だった。


「腹減ったなぁ。ここでちょっと飯食わんか?」
後に、実はAは天一が苦手だと知ったのだが(一度食べてコッテリ過ぎると思ったらしい)、「まあええよ」と返事をした。僕らは妙に照明が赤いその店に入った。

席について僕は大のコッテリを、Aは並のコッテリをそれぞれ注文した。
他に客はおらず、従業員は店長と思しき男性一人だった。

しばらく待っていると、テーブルにドンブリが2つ置かれ、そしてもうひとつ何かが置かれた。
僕は少し驚いた。
それはザルいっぱいの青ネギだったのである。
かなりテンションが上がった。というのも僕は当時、天下一品をネギだくで食べたいと強く思っていたからである。しかし、いつもネギ多めを注文するものの「そんなに多くないなあ」というのが毎回の正直な感想だった。

そんな中で、こんな素敵な天下一品の店舗があるのかと舞い上がるほど嬉しくなった。
Aは少しだけネギを入れると、「後はええぞ」と残りを僕にくれたので、僕はドンブリをネギであふれさせ、念願のネギだく天一を幸せな気持ちになりながら食べた。

会計を済ませ、外に出た。
「ネギくせー」とAに言われた。
僕はこの天一に是非また来たいものだと思っていたが、当時は近鉄沿線のちょっと遠い所の住民だったので、「次回はけっこう先になりそうだな」と残念に感じていた。

それからしばらくして、またその辺に行く用事があったので僕は一人でその天下一品のあった場所に行ってみた。

ところが、である。
いくら探してもそのネギ天一は見つからなかった。
数年後、比較的その場所に近い部屋に引っ越した時も、自転車でうろうろと探してみた。
天下一品の店舗はいくつかあったが、それでもあの妙に照明が赤い天一は見つからなかったのである。

先輩のカクさんにこの話をすると、「場所間違えたんだろ」という返事が返ってきた。
「そうかもしれませんけど・・・」
「それか、天一じゃなくて横綱だったんじゃねえか?あそこネギ入れ放題だしな」
「ありえないです。あの特徴的なコッテリスープと横綱のスープを間違えるわけないじゃないですか」
「まあ、そうだよなあ・・・」
と言った後、カクさんは「まるでマヨイガだな」と呟いた。
「まよいが?」
「うん。民俗学の研究で収集されたフォークロアのひとつでな。山とかで迷った旅人が歩いていたら、立派な屋敷が建っているんだ。中に入ったら、ちゃんと手入れが行き届いていて、家畜はいるし、火鉢には火が灯っているし、食卓には立派な食器が並んでいる・・・まあそんな状態。けど、どれだけ家人を探しても誰もいないんだ。で、旅人はしばらく休憩して出て行って、後日その屋敷を探そうとしても二度と見つからないと。まあ、そんな伝承だ」

後からWikipediaで調べてみたら、旅人はそこから食器を持ち帰り、それで米を測ると米が尽きず、大金持ちになったという。話は迷った人間がマヨイガに辿りつき、屋敷は無人で、訪問者はそこから何かを持ち帰り、後に金持ちになるというパターンになっているそうだ。そして二度とそこには行けない。

確かに僕は迷子になっていて、後で探してもその天一は見つからなかったが、店は無人ではなかったし、僕は何も店から持ち帰っていない。そして10年近く経った今、正直貧しい。

これには、ちょっとした後日談がある。
Aと一緒にその店に行ってから5~6年経ったある日、久しぶりに会った彼に「あの時の天一はすごかったよな~」という話をした。そうしたらAはこう言ったのだ。

「そんなことあったっけ?」

Aが忘れているだけなのか、それとも全ては僕の夢だったのか。未だに説明がつかない思い出である。



  


Posted by Tamo at 22:00Comments(0)京都の日々

2009年08月16日

大文字

アパートの屋上から大文字を見た。

安い部屋で不便も多いが、これを見ることができるので契約を決意したのだ。

こういう文化的オマケは魅力的である。

前は他の送り火も見れたのだが、新しい建物ができて見れなくなった。残念なことだ。  


Posted by Tamo at 21:06Comments(0)京都の日々

2009年08月15日

公園花火


三条商店街を堀川から西に進んでいくと、三条大宮公園がある。

昨日は〈がんばれお好み焼き、負けるな焼きそば〉という独特なネーミングセンスが光る店で少し飲んで、公園で花火を楽しんだ。

巡回中のおまわりさんが、「あまり大きなやつとか、ロケット花火とかはしないでね〜」と言ってきた。

花火と警官。夏の思い出である。

もちろん、ちゃんと片付けて帰った。  


Posted by Tamo at 15:56Comments(0)京都の日々