同好会

Tamo

2011年06月27日 22:54

仕事帰り。
月曜の仕事が終わったら、僕はいそいそとある場所へと向かう。同好の士が集まるその場所へ。

チェスボクシングという競技がある。そのまんま、チェスとボクシングを交互に行う、頭脳と肉体を駆使した競技だ。勝負はチェックメイトやノックアウトで決まる。

僕は左京区チェスボクシング愛好会の常任理事であり、毎週月曜は、このマイナーな競技に時間を捧げている。

そんな僕だから、さっきみたいに帰りの阪急が遅れるとイライラする。月曜はチェスボクシングの日だからだ。会に遅れたら、罰則としてロードワークとチェス駒素振りを長時間こなさなくてはならない。

ただ、いかんせん競技の知名度が低く、左京区チェスボクシング愛好会のメンバーはきわめて少ない。何を隠そう、僕ひとりで活動している。

前に、テルミンと俳句の会をやっていた時もそうだった。これはテルミンを奏でながら一句詠むというハイクラスな芸術活動であった。しかし、鴨川テルミン俳句連合は、実質僕ひとりで細々と活動していた。

その前に、エクストリーム・アイロンかけをやっていた時も、ひとりだった。エクストリーム・アイロンかけとは、極限状態でアイロンをかけるという男のスポーツだ。例えばロッククライミングや、スカイダイビングの最中、Yシャツなんかにアイロンをかける、この上なくクレイジーな競技だ。まさに命懸け。北斗の拳も真っ青である。

しかし、我がKEIL(京都エクストリーム・アイロニスト・リーグ)は、その男の美学丸出しの魅力とは裏腹に、人集めに苦労する日々だった。

その前にハマっていた、「飲み黙り」という競技は、少々事情が異なった。飲み黙りとは、居酒屋なんかで飲みながら、オーダー以外は沈黙を貫くというシブイ競技である。競技者は伝説の飲み黙り王であるケン・高倉が上り詰めた高みを目指し、日々研鑽を積んでいた。

実はこれには、それなりに競技人口がいて、例えば西院、大宮、木屋町、河原町の飲み屋なんかでも見られた。僕はかなり上級の飲み黙リストだったが、その僕が見ても見事な飲み黙りの技を披露していた人たちが何人かいた。

ただ、それは僕のように競技でやっているのか、それとも単に愛想がないだけかの区別が困難な場合もあった。いや、むしろ、まったく区別がつかなかった。飲み黙りのルールはおしゃべりを禁じているので、隣り合わせた飲み黙リストっぽい人に「あの、もしかしてお宅も…?」と聞くことすら叶わなかった。

振り返ると、僕はずいぶんと幅広い活動をしていたようである。そのどれもが社会から微妙な眼差しを向けられる活動ばかりだ。チェスボクシングだってそうなのだ。長続きはしないだろう。

次はエア生け花とかをやろうと思う。

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