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2009年09月13日

京都麺客考

京都麺客考「なんだかんだ言っても、天一はうまいよな」という先輩のカクさんの言葉に「そうですねぇ」と応じながら、僕は内心「なんだかんだ」という箇所を妙に興味深く感じていた。

京都に来てまだ間もない頃に初めて天下一品のコッテリ味を食べた時、「うまいな〜。これくらいやってからコッテリを名乗るべきだ」と思った。ハマるととことん…といったタチなので、一ヶ月間、まるでご利益でもあるかのように毎日欠かさず天下一品に通った時もある。


僕の周囲にも天一から麺食いに(うっかり)なってしまう人達がいた。みな最初の頃は「天下一品こそ天下一だ」くらいの勢いで誉めていたものだ。一種の信仰かと思うくらいだった。

天下一品のラーメンは、その麺疫のない者にとってはハレのラーメンであり、入店する時は何となく恭しくなる人もいた。しかし、京都には同店の店舗がいたる所にあるので、だんだん珍しくも何ともなくなってしまう。そして徐々にハレのラーメンは、ケのラーメンに転じてしまうのであった。

その頃には天一を入り口に麺道を歩み始めた麺士達は、チェーン店以外のもっとコアな、もっと濃い、もっと珍しいラーメンと手合わせを重ねているので、天下一品の評価は麺道初級の頃とは変わってくる。だからそんな方々の前でうっかり「ボク天一が好きなんですよぉ」と言うと「あ〜」という反応が返ってくる。まるで「私にもそんな時期がありました。貴君がご卒業できる日を心よりお祈り申し上げます」とでも言うような眼差しと共に。

カクさんのいう「なんだかんだ」がその事を思わせ、妙に面白かったのだ。この人も案外そういうクチなのだろうか。

さて、天下一品の評価云々に関しては続きがある。麺客商売の道に身を投じた中期あたりの段階で、いっぱしの口をきくようになる麺客らは、ある意味で排他的とも取れるこだわりを持つ。

彼ら曰く「ラーメンはこうあるべきだ」「スープから食すべし」「麺はどこどこのやつじゃなきゃイカン」などなど…。勢いラーメン店に独自の基準で優劣をつけ、誰かがその順序的に劣等な店を「好きだ」と申告した場合、なぜか「勝った」と思ってしまう人もいるらしい。それが前に述べた「天一卒業」みたいな反応につながる場合もあるのだろうと僕は勝手に考えているのだが、さらに手練れになると、再び「天下一品が好きだ」と堂々とカミングアウトするようになるのだ。

原点に戻るのかどうなのか分からないが、不思議な現象である。このレベルの人達は確固たる評価基準を持っているが決して偏屈ではない。アッサリもコッテリも、有名店も無名店も、実にフェアに評価しているようだ。彼らのコメントを聞くと原理主義的な所はほとんどなく、「ラーメンには美味い、上手い、巧いなど、様々なうまさがあるのだ」というような多様性を尊重した、実に奥深い発言が多い。僕はこの事を「懐が深くなる」と呼んでいる。

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Posted by Tamo at 17:16│Comments(0)ラーメン
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